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新木優子が幸福の科学信者なのはなぜ?ハンドボール部のマネージャーだった?

新木優子が幸福の科学信者なのはなぜ?ハンドボール部のマネージャーだった?

女優としてもモデルとしても活躍する新木優子さんと幸福の科学がなぜ結び付けて語られるのか、気になっている方は多いようです。あわせて、学生時代にハンドボール部のマネージャーを務めていた経歴にも関心が集まっています。報じられてきた内容をもとに、ご紹介していきます。

目次

幸福の科学の信者と言われる理由

新木優子さんと幸福の科学が結び付けて語られる背景には、家庭環境と過去の報道があります。報道によると、両親が熱心な信者である家庭に生まれた宗教2世とされ、幼少期から教団が運営する学習塾のサクセスNo.1に通う環境で育ったといいます。信仰歴は20年以上に及ぶとされており、自分から入信したというよりも、生まれ育った家庭環境が信仰につながっていたと報じられました。ここからは、その話が広く知られるようになった経緯を見ていきましょう。

守護霊インタビューの公開

世間に広く知られる機会となったのが、2017年8月に幸福の科学の施設で公開された大川隆法総裁による守護霊インタビューでした。この映像は、大川総裁が新木さんの生霊を呼び出して対話するという形式が取られたもので、20年以上の信仰歴や教団の芸能部門への思いといった内容を教団側が語ったものでした。この内容が週刊新潮などに取り上げられ、信者と言われるようになりました。

事務所への相談と出家の否定

映像が公開された当時の芸能界では、出家を発表した女優の清水富美加さんの話題が注目を集めていました。新木さんはその直後にあたる2017年2月、所属事務所であるスターダストプロモーションの幹部に対し、自ら信者であることを打ち明けたと報じられています。その席では、事務所に迷惑をかけないことや出家はしないことを伝えたといいます。そして、事務所側は信教の自由を尊重したうえで、芸能活動の継続を認めたと伝えられています。

教団との距離と関係者の証言

教団の施設で映像が公開されたことは、新木さん本人の意向によるものではなかったとされています。教団を離れた大川隆法総裁の長男・大川宏洋さんは、教団側からの出家要請を新木さん側が拒否したために映像が公開されたと証言しています。その後も事務所のサポートを受けながら活動を続け、教団とは距離を置いているとされています。

幸福実現党との関係は?

インターネット上では、幸福の科学の支持母体である幸福実現党との関わりを気にする声も見られます。ただ、新木さんが同党から出馬したり、選挙応援といった政治活動に関わったりしたという情報はありません。新木優子さんと幸福の科学がなぜ並べて語られるのかという疑問が、教団と支持母体の関係から政治の話題にまで広がっているようです。

高校時代はハンドボール部マネージャー?

新木優子さんは神奈川県立霧が丘高等学校に通っていた高校時代、ハンドボール部でマネージャーを務めていました。当時すでに芸能事務所には所属していたものの、オーディションに落ちることが多く、目立った仕事の少ない下積みの時期です。そのぶん学業や部活動に打ち込むことができ、仲間と過ごした部活の時間を青春の思い出として大切にしていたそうです。ここからは、その経験が今の仕事観にどうつながっているのかを見ていきましょう。

マネージャー経験で学んだこと

誰かを支える側にまわった経験は、あとになってじわりと効いてきますよね。ハンドボール部のマネージャーとして選手を支えた時間は、新木さんのプロ意識や周囲への気配りの原点になっているようです。インタビューでは、誰かを一生懸命に応援して笑顔にすることの大切さを学んだと語っています。芸能の仕事は多くのスタッフに支えられて成り立つだけに、支える側の気持ちを身をもって知っていることが、現場での気配りにつながっているようです。

中学時代は吹奏楽部だった

高校でハンドボール部のマネージャーを務める前、横浜市立都田中学校に通っていた中学時代は、吹奏楽部に所属していました。担当していた楽器はトランペットで、平日は演奏の練習に励み、週末は芸能レッスンに通うという忙しい毎日を送っていたそうです。音楽から運動部のマネージャーへと、環境が変わったことになります。

トークイベントで出た部活の話

高校時代にハンドボール部のマネージャーを務めていたことは、出演作のトークイベントでも話題に上りました。映画『インターン』のイベントで、もし芸能界に入らず一般企業で働くならという話題になった際、スポーツ関連の仕事を希望した共演者の岡本杏理さんに対し、新木さんは自身の経験からマネージャーを勧める一幕がありました。学生時代のエピソードを取り上げた動画も公開されているので、あわせてのぞいてみてください。

出典元:【entax】編集部

新木優子の生い立ちと現在

新木優子さんが芸能界に入ったのは小学5年生のときで、原宿の竹下通りでスカウトされたことがきっかけでした。子ども服のカタログモデルから活動を始め、2008年には自主制作映画『錨を投げろ』で映画に初出演しています。その後はオーディションに受からない日々が続き、同期のももいろクローバーZが日本武道館や紅白歌合戦へと進んでいく姿を間近で見ていました。ここからは、そこからブレイクに至るまでの歩みをたどります。

大学進学と決めていた期限

自分で期限を区切って挑むというのは、なかなかできることではありませんよね。高校を卒業した新木さんは、フェリス女学院大学文学部英語英文学科へ進学しました。学業と芸能活動を並行させるなかで、大学に在学している4年間で結果が出なければ芸能界を辞めると、自分に期限を課していたそうです。英語を専攻して学びを広げながら、レッスンやオーディションに向き合う日々を重ねていきました。

ゼクシィCMガールでブレイク

大学3年生になった2014年に、ファッション誌non-noの専属モデルへ選ばれたことで、知名度が上がりました。さらに2015年には、人気女優の登竜門として知られる結婚情報誌ゼクシィの8代目CMガールに抜擢され、幅広い層から注目を集めています。これをきっかけに『コード・ブルー』や『CRISIS』といった話題作へ次々と出演し、女優としての立ち位置を固めていきます。

中島裕翔との結婚と現在

私生活では、2026年4月11日に元Hey! Say! JUMPのメンバーで俳優の中島裕翔さんとの結婚を発表し、多くの祝福を集めました。2017年の映画『僕らのごはんは明日で待ってる』での初共演をきっかけに関係を深め、ゴールインに至っています。下積みの時期を知る人ほど感慨深い節目だったのではないでしょうか。現在もドラマや映画で活躍を続けています。

まとめ

今回は、新木優子さんと幸福の科学がなぜ結び付けて語られるのか、そして高校時代のハンドボール部マネージャーの経歴を見てきました。信仰については両親の影響や2017年の映像公開が報じられていますが、本人が語ったものではありません。誰かを支える経験を糧にする姿にも、ぜひ注目してみてくださいね。

この記事を書いた人

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