元ハンドボール日本代表の主将として活躍した永島英明さん。引退後の意外なセカンドキャリアや、元妻とされる山本聖子さんとの関係が気になる方も多いですよね。この記事では、輝かしい経歴から今の活動までを丁寧にひも解いていきます。
永島英明とはどんな人物?
ハンドボールにあまり詳しくない方でも、その名前を一度は耳にしたことがあるかもしれません。永島英明さんは1977年に大阪府で生まれ、日本代表の主将まで上り詰めた、まさに日本ハンドボール界を語るうえで欠かせない選手です。攻守の要として長年トップで戦い続けた経歴は、多くの後輩たちの憧れの的となってきました。
高校でハンドボールと出会い大学で全国制覇
意外なことに、永島さんはもともと野球少年だったそうです。中学卒業時には名門校のスポーツ推薦に挑むも実を結ばず、一度はスポーツ自体を諦めかけていました。そんな彼に声をかけたのが此花学院高校(現・大阪偕星学園高校)の顧問の先生でした。長身と身体能力を武器に頭角を現し、高校3年時には激戦区の大阪を勝ち抜いて全国大会ベスト8に進出。進学した大阪体育大学では、2年時と4年時に全日本学生選手権を制し、学生界を代表する存在へと成長しました。
プロ契約選手として大崎電気で躍動
大学卒業後は日本ハンドボールリーグの三陽商会へ入団しますが、2001年にチームが休部となる転機が訪れます。ここで永島さんが選んだのは、プロ契約選手として大崎電気オーソルへ移籍するという道でした。ポストというポジションで、妥協を許さない豊富な運動量とよく通る声でチームを牽引し、リーグ優勝や全日本総合選手権など数々のタイトル獲得に貢献。約13年間にわたって、チームの中心選手として君臨し続けました。
日本代表主将としてオリンピックに挑んだ日々
日本のトップ選手となった永島さんが追い求めたのは、やはり大きな国際舞台でしたよね。選ばれた者だけが立てる場所を目指し、挑戦の道を歩み続けました。
3度のオリンピック予選と世界選手権
永島さんは、アテネ・北京・ロンドンと3度にわたってオリンピック予選に挑戦しています。特に2008年の北京オリンピック世界最終予選では日本代表の主将を任され、チームを束ねる重責を担いました。「中東の笛」と呼ばれる不可解な判定や予選のやり直しといったドラマに翻弄されながらも全力を尽くしましたが、惜しくも出場権には手が届きませんでした。それでも世界選手権には2度出場し、世界の強豪と渡り合った経験もあります。
21年間の競技人生に幕
3度目の挑戦となったロンドン五輪予選も突破はかなわず、永島さんは2013年に現役を引退します。15歳でハンドボールと出会ってから、実に21年間にわたる競技人生でした。「オリンピックという、選ばれた者だけが見られる景色を見たかった」と語る永島さんにとって、夢そのものは叶わなかったものの、自分との約束を守り抜いた日々は何ものにも代えがたい自信になったとコメントされています。
ここで、永島さんのこれまでの歩みを年表で振り返ってみましょう。
| 年/学生時代 | 主な出来事 |
| 1977年 | 大阪府に生まれる |
| 高校時代 | 此花学院高校でハンドボールを始め、全国ベスト8 |
| 大学時代 | 大阪体育大学で全日本学生選手権を2度制覇 |
| 2001年 | 大崎電気オーソルにプロ契約選手として移籍 |
| 2006年 | 山本聖子さんと結婚 |
| 2008年 | 北京五輪世界最終予選で日本代表主将を務める |
| 2013年 | 現役を引退 |
| 2014年 | 株式会社HIHを設立 |
| 2019年 | 三軒茶屋に「広島焼き とこしえ」をオープン |
永島英明は現在何してる?
引退後はてっきり指導者の道に進むと思われていましたが、永島さんが選んだのは全く別の世界でしたよね。永島英明さんの現在のメインの活動は、東京・三軒茶屋にあるお好み焼き店のオーナー兼店長です。指導者として安定した立場を得る道もありましたが、「ワクワクしない」という自身の感覚を信じ、ゼロから新しい挑戦に踏み出すことを決めました。
引退後は東南アジアを放浪
引退直後、永島さんはなんと半年ほどフィリピンやインドネシア、インドを一人で放浪したそうです。財布や携帯電話を盗まれるような過酷な経験を通じて、これまでの肩書きを脱ぎ捨て、一人の人間として再出発する覚悟が固まったといいます。帰国後は将来の開業を見据え、年下の店長のもとで皿洗いから飲食店の現場を一から学んだそうです。
「広島焼き とこしえ」に込めた想い
2019年1月、満を持してオープンしたのが「広島焼き とこしえ」です。店名は永島さんの「永」、つまり「永久(とこしえ)」から名付けられました。「美味しいお好み焼きとお酒を楽しみながら、仲間とハンドボールを観られる店」というコンセプトのもと、ハンドボールファンが集う聖地として知られた人物をパートナーに迎え、競技を愛する人々のコミュニティづくりを大切にしています。
パリ五輪に沸くハンドボール界へのエール
2024年、男子ハンドボール日本代表が36年ぶりに自力でのオリンピック出場を決めた際、永島さんの胸にも熱いものがこみ上げたそうです。アジア予選を勝ち抜いた瞬間を「思い返せば今でも鳥肌が立つ」と振り返り、選手もファンも涙を流した感動を語っています。自力出場の要因については「活躍の舞台を海外に移す若手が増えたこと」を挙げ、世代交代によってチームの層が厚くなったことを高く評価しました。
後輩とともに競技の普及を
永島さんのお店は、ハンドボールに限らず他競技の現役選手も訪れる交流の場になっています。大学・社会人時代の後輩で2024年に引退した元日本代表の森ペレス淳さんも店を手伝っており、「キッチンカーで全国を巡り、競技を普及させたい」と意気込んでいるそうです。まだまだマイナー競技という現状を変えるべく、「1勝でも多く挙げてほしい」と永島さんは温かいエールを送り続けています。
永島英明の元妻は山本聖子さん!結婚と離婚の経緯
タイトルにもあるとおり、永島さんの元妻は元レスリング世界女王の山本聖子さんですよね。アスリート同士のビッグカップルとして大きな注目を集めた二人は、お互いの競技に打ち込む姿勢を尊重し合いながら家庭を築きました。山本さんは結婚を機に一度現役を退いており、当時は多くのファンに応援される存在でした。
2006年の結婚から2014年の離婚まで
二人が結婚したのは2006年。翌2007年9月には第一子となる長男の匠瑛(ショウエイ)くんが誕生し、二人三脚の歩みを進めていきます。しかし2013年に山本さんがアメリカ女子レスリング代表のコーチに就任して拠点を移したことで、遠距離での別居状態に。生活環境や価値観のすれ違いが影響したとされ、2014年に約8年半の結婚生活に終止符を打つこととなりました。
それぞれの道を歩む現在
離婚後、山本聖子さんはメジャーリーガーのダルビッシュ有さんと再婚し、現在は5人の子どもを育てる母として知られています。一方の永島英明さんの現在は、これまで見てきたとおり、経営者として、また講演活動を通じて、新たなフィールドで充実した日々を送っています。かつて夫婦だった二人が、それぞれの場所で前を向いて歩み続けている姿を見ると、応援したくなりますね。
まとめ
今回は、永島英明さんの現在についてご紹介してきました。日本代表主将を務めた後、お好み焼き店のオーナーや経営者として新たな道を切り開いてきました。元妻・山本聖子さんとの歩みも含め、自分に正直に生きるその姿から、これからも目が離せませんね。








